空飛ぶバディネリ 『しずかちゃんの遺言』25
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『しずかちゃんの遺言』25

 『しずかちゃんの遺言』 (第25回/全__回)

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25.


 ところで、私が見たあのしずかちゃんは、もうすぐ湯船を奪われて、あの風呂場から出て行くでしょう。そして、新しく生まれたしずかちゃんは、死んでしまうんじゃないかと思います。
 もはやしかたのないことです。
 かつてジャイアンや私たちがスネ夫と読んでいたあの彼は、温泉センター予定地から離れた場所に湯船を作り、しずかちゃんがそこに行くよう誘導する計画をたてていました。
 が、どう考えても彼にあの美しい湯船を再現できるとは思えません。彼はきっと、しずかちゃんを効果的に呼び寄せるための看板を立てるでしょうが、その看板作りのセンスには悲しいものがありました。
 一番の問題は、その場所です。ジャイアンの見立てによれば、あれだけ広いお風呂場であっても、湯船を置ける特別な場所はあの一カ所しかなかったわけですから、どこかに新しい湯船を置いたところで、しずかちゃんはそれを使わない可能性が高いのです。
 それでもあるいは、彼のもくろみは成功するのかもしれません。
 しずかちゃんだって、好んで臭くなって死ぬようなことはいやでしょうから、住み慣れたお風呂場の近くに新しい湯船があることに気づいたら、そこを使い始めるかもしれません。
 しかしそれは、私が見て来た広大なしずかちゃんのお風呂場が堂々と破壊しつくされることを意味します。
 しずかちゃんが彼の作った湯船を使うなら、今湯船がある場所は、安心して温泉センター作りの工事ができる場所になるからです。
 つまり、あの巨大な迷宮のようだったしずかちゃんのお風呂場は、スーパー袋に着替えさえ入れて持てば気軽に行ける、なんのへんてつもない温泉センターになるのです。あの土地周辺が、温泉センターさえ無い不幸から脱却し、温泉センターのある幸せを手に入れるのです。

 しずかちゃんのことだけを考えていては、私たちは生きて行けません。私たちの住むこの国が、しずかちゃんのお風呂場だらけでは、私たちはきっと不幸に違いないのですから。
 そのお風呂場がどんなに深く豊かで魅力的で、なおかつ、お風呂場以外の場所がお風呂場以外の場所であるために不可欠なものだったとしてもです。
 本当には私たちが不幸でなかったとしても、いつか誰かが「あんたたちってもしかして不幸なんじゃないの?」とささやけば、私たちは、言われてみればそうかもなあと思い、それは結局不幸の始まりなのだと思います。
 でも。
 やはりあそこはしずかちゃんのプライベート空間なのでした。
 あそこでしずかちゃんがひっそりと暮らしているかぎり、しずかちゃんのお風呂場はしずかちゃんが機嫌良く暮らして行くための、プライベート空間なのでした。プライベートな話を前にして、私たちがしずかちゃんなしで生きて行けるのかどうかなんて問いなど、全くナンセンスでしかないのです。

 私は、しずかちゃんの私生活をほんのちょっぴり垣間見ることが出来、今、この世界でしずかちゃんと同じ時間を過ごしていることに幸せを感じています。
 この幸せの感覚を手にして以来、ドラ焼きを売るためにあちこちを飛び回る私は、この世界全てがプライベートな空間なのではないかと思うようになりました。
 その場所その場所の人々がそれぞれに日々を暮らす、誰にも勝手に破壊などされてはならない愛すべきプライベート空間です。そんなものの集まりがこの世界であり、この世界全体が私たちみんなのプライベート空間に思えてくるのです。
 こんな話をジャイアンにしたなら、
「普通そいつをパブリックスペースっていうんだろ。バカか、おまえ」
と言うでしょう。
 スーパーマンさんなら、
「パブリックとかプライベートとか、何それ? 全然わからない。さっぱり意味がわからない。きみ、何を言っているの? 何それ? 何それ?」
と言って怒り狂いながら「世界はひとつ」と歌い出すでしょう。
 ドラえもんだったなら、
「安易にカタカナ語を使うのって、よくないよ」
とだけ、言いそうです。

 あるいは、と考えてしまうこともあります。
 もしかしたらしずかちゃんは、ペカペカ光る看板や、妖しい色に照らされたジェット水流のお風呂も実は嫌いじゃないかもしれません。混浴だって本当は大好きで、おおはしゃぎで楽しむかも知れません。
 迷宮の様なお風呂場の奥深くで人知れずひっそりと暮らす今のしずかちゃんは、自らのイメージ戦略に囚われた哀れな身なのかも知れないし、単なる情報と経験の不足から、別の暮らし方をするきっかけがもたらされていない孤独な生活者なのかも知れません。
 ひょっとしたら、「オニーサン、オニーサン、チョットチョット」と声をかけて来たきれいな女の人たちのかわりに、しずかちゃんがずらりと並ぶことになるかも知れません。街のあちこちがしずかちゃんであふれかえり、女子高校生たちがそのマナーの悪さに眉をひそめることになるかも知れません。
 そうしたら国の方針、即ち、みんなの願いはしずかちゃん退治に変わることでしょう。
 たぶんですが、今の私たちが失っているのは、しずかちゃんのもつ繊細さとしぶとさを見極めることの出来る、しずかちゃんとの関係なのだと思います。即ち、しずかちゃんはもうずっと以前から、私たちの友達ではなくなっていたということなのだと思います。

 そんなことをつらつらと考えていた折り、ジャイアンがお店に来ました。
 驚いたことに、甘いドラ焼きなど食べないはずのジャイアンが、ドラ焼きを買いに来てくれたのでした。
「取引き先のおねえちゃんへのプレゼントなんだからな。リボンつけろ。ピンクな」
 わざとらしいぶっきらぼうさでそう言いましたが、ドラ焼きが出来るのを待っている間、こんなことをこっそりと教えてくれました。

 あのかつて私たちがスネ夫と呼んでいた彼は、今ではビデオ撮影をしたことを激しく後悔しているそうです。
 しずかちゃんが警戒するのではないかという私の危惧はとりこし苦労にしか過ぎず、貴重な映像が大量に集まりましたので全ては大成功だったと私は思っていました。が、彼はそう考えなかったようです。ほめられることで頭がいっぱいだったのか、経費の計算をせず、開けてみれば赤字だったというのがその理由です。例の私への補填も関係しているのでしょうが、なんとも間の抜けた話でした。
 今になってやらなければよかったなんて言われたら、ジャイアンや私のあの苦労はなんだったんだという話でもあるので結構むっとくるところですが、それよりも脱力したのは、撮影した映像そのものの価値の話がすっぽりと抜けていることでした。
 私の目からみても、ちょっとやそっとの赤字などカバーしてあまりある貴重な情報が、まだまだたくさん読みとれるはずでした。が、彼の指示でジャイアンが映りのいいところだけ寄せ集めたものを「よく撮れたでしょ」といって出木杉くんたちに見せて終わり、データとしても、私たちの仮解析のメモをそのまま表にしただけだそうです。
 その道の研究者がみれば、宝の山だと言って大喜びすることは間違いないくらい価値ある映像のはずでした。私などは、現場の小さなモニタで見たいくつかのシーンを思い返すだけで幸せな気分になれます。

 もうひとつ、私には遙か昔にみた夢のように思えてしまう話ですが、実は彼は、私がみんなに絶対ドラ焼きをふるまった晩のことがとても気になっていたようで、その後、ジャイアンに寝掘り葉堀り聞いたのだそうです。私がしずかちゃんに会ったとき、しずかちゃんがどうしたかについてです。
 なぜ当事者の私に聞かなかったのかというと、その頃は私に「あわあわあわ」しか言えなくなっていたからでしょう。
 ジャイアンは、その後の調査のある晩、彼がひとりこっそり、あの泉に向かったと言いました。
 彼はときどきとてもわかりやすい行動をとるクセがありますので、コンビニで「夜食でも買っておこうかな」と独り言を言った時点で、ジャイアンには全てわかったそうです。
 ジャイアンの思った通り、彼は夜中にカップラーメンにお湯を入れ、あの泉に向かいました。私が持って行ったのは絶対ドラ焼きのカップであり、実体としては「まごころ」の残り香のはずでしたが、彼はカップラーメン以外考えもしなかったようでした。
 ジャイアンたちはあとをつけました。見物に行ったわけではなく、彼が馬鹿なことをしそうな気がしてならなかったからだそうです。
 ジャイアンは私に言いました。
「なあ、これまでの調査で、おれたちが一枚も撮影に成功してなかったのが何かわかるか」
「うんこ」
「いいや、それは放尿シーンでカバーできるからいいんだ。そうじゃなくてな、しずかちゃんの食事だ」
「そうか、そういえばなかったね。その後もダメだったの?」
「ああ、さっぱりだった。あいつは、しずかちゃんがおまえのカップのにおいをかいだって話で、食事シーンが撮れるかもしれないと思ったらしい。そしたら手柄になるからな」
「へえ。それで、撮れたの? というか、そんな都合良く、しずかちゃんがあの場所に現れたりするのかな」
「来てたんだなぁ、これが。だがな、泉のわきの石でなく、そこからちょっと離れた林にいたんだ。新しい小さいしずかちゃんを抱いてな。あいつはそれに全く気がつかねえで、藪の中に石に照準を合わせてカメラをセットすると、泉のまわりをうろうろしはじめた。しずかちゃんの食べかすでも落ちてないか探してるようだったな。で、こっからがすごいんだが、そのあとあいつ、何したと思う?」
「さあ」
「驚いたよ。石に近づいて行ったんでどうするかと思ったらさ、あの石の上にふやけたラーメンを撒いたんだわ」
「ゲッ」
「あいつはさあ、しずかちゃんがそれを食いに来ると思ったんだろうなぁ。わかるか? あいつが見てたしずかちゃん、つまりあいつの目に写っていたしずかちゃんはな、石の上にぶちまかれたラーメンをすすってもおかしくないようなしずかちゃんだったってことだ。さすがにおれも、そこまでとは想像もしてなかったよ」
 いつものジャイアンなら、この手の話題は嬉しそうに話すはずですが、このときは妙にしみじみとした口調でした。寂しそうですらありました。
「大切な場所に、のびきったラーメンなんかぶちまけられちゃ、しずかちゃんが怒っても無理ねえわな。それまでしずかちゃんは、あいつのやることをじっと見てたんだがな、身を隠してるつもりでカメラをのぞいて待ってたあいつのとこに、つかつか歩いてった。どうするかと思ったらさ、目玉をはみ出させるほどびっくりしたあいつに平手打ちをくらわせようとしたんだ。んだが、寸前でやめた。で、落ちてた棒をひろってあいつを思いっきしぶんなぐった。触れるだけでも汚らわしいってな感じだったな。すんげえ怖い目で無様にひっくり返ったあいつをにらんでたよ。あんなしずかちゃんは、おれも初めて見たぜ」
 翌日、顔に大きなアザをつけて朝食の場に来た彼は、
「昨日の晩、トレーニングしようと思って自転車に乗ったらコケちゃったよ。あれ、ペダルのデザインが悪くて、足がはずれやすいんだよね。クレーム入れようかなあ。完全に設計ミスだよ」
と、とてもわかりやすいことを言ったといいます。
 ジャイアンが、
「そうか。自転車のせいなんだな。じゃ、おれがかわりに仕返ししてやる」
と言ってスパナで自転車をガンガンこらしめ始めたところ、自転車が大好きな彼は泣いて止めに入ったそうです。
 この話ばかりはジャイアンも嬉しそうな顔で言いましたが、彼のそんなキャラクターの話は、私にはもう、どうでもいいことでした。
 ジャイアンによれば、その晩以来、しずかちゃんは泉にも湯船のある場所にも姿を見せなくなったそうです。お風呂場のはずれあたりでほんの二回ほど目撃されただけで、その後はただの一回も誰も会えていないとのことでした。湯船もお風呂場もまるごと放棄してどこかへ行ってしまったというのがジャイアンの見解でした。
「あの大事な場所であんなことされたら、そのまま暮らし続けるわけがねえと思うよ」
 そう、ジャイアンは言いました。

 例の、かわりの湯船を置いてしずかちゃんを誘導する計画はまだ続いているようですが、それについてジャイアンは詳しい話をしませんでした。仕事上の機密事項の範疇に入るからです。
 が、しずかちゃんがもう出て行ってしまったとなると、その計画の全てが無意味になってしまうはずです。おそらく、彼と出木杉くんの間では、しずかちゃんはなんらかの理由でどこかに潜んでいる、ということになっているのでしょう。
 彼が「自分がしずかちゃんを追い出してしまった」などと告白するわけがありません。自分のせいではない別の理由によるものだと一生懸命思いこみ、その根拠が見つからないことを不思議に思っていたりしているのでしょう。せいぜい、誰かに「おまえのせいだ」と言われてしまう可能性を恐れて、ただビクビクしているくらいだと思います。
「『ラーメンぶちまけたあとの掃除、しといてやったからな』と言ったときのあいつったらなかったぞ。真っ青になって、ガタガタ震えてたわ」
 そう言ってジャイアンは乾いた笑い声をあげ、すぐしんみりとして言いました。
「震えるだけ震えながら、だからどうするってわけでもないところがあいつのすごいところだよ。はっきりおまえのせいだと指摘してやってもいいんだがな、言ったところであいつがなんて返すかは想像つくだろ。鬱陶しい思いをするだけ損だ」
「でも、そしたら計画自体がナンセンスになるじゃない。打ち切りになったりしないのかな」
「いや、そうはならんだろ。一度ついた予算だからな。理由なんていっくらでもつけられるさ。そういうもんだよ。冬までには戻ってくるかもしれねえしな」
 ただ、しずかちゃん親衛隊の耳に入ったらひともんちゃくあるのは確実で、事と次第によっては温泉センター建設計画そのものが頓挫することになる可能性だってあるとジャイアンは言いました。
 が、こうも付け加えました。
「ほんの一握りのひとを除けば、親衛隊なんてラーメンのかわりにイチゴショートと紅茶を置きたがるようなやつばかりだよ。同じこった」
 私は、それまでのジャイアンの話に出て来ていなかった気がかりなことをたずねました。
「ねえ、ジャイアン。そのラーメンの話のあとでしずかちゃんが目撃されたときって、ひとりだった?」
 ジャイアンは、きたな、という顔で答えました。
「ああ、ひとりだった」
「じゃあ、ってことは・・・」
「だな。死んだんだろ」

 ジャイアンの話はそれでおしまいでした。
 わたしがひとつひとつ丁寧にリボンをつけたドラ焼きを十個差し出し、
「はいおまたせ。おねえちゃんたちによろしく」
と言うと、ジャイアンは照れくささを誤魔化そうとするような口調で、接待なんだから領収書が欲しいと言いました。
 私が、
「名前はどうしようか。上様? それともジャイアン?」
とたずねると、ジャイアンは、
「いや、おれの名前で」
と言いました。
 私は、宛名欄にジャイアンの本当の名前を書いて、領収書を手渡しました。
 彼はド派手なウインクを一発残し、帰って行きました。


                             つづく...

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