空飛ぶバディネリ 『青い巣』(第2回/全16回) by AntennaMan

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『青い巣』(第2回/全16回) by AntennaMan

『青い巣』(第2回/全16回) by AntennaMan

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 新しい生活は、いつでも新しい種類の匂いに包まれて始まる。
 小学校では下駄箱の匂いだった。中学校は部室棟の前の焼却炉だった。生活が変わるたび、新たな匂いに僕は包まれた。挽きたてのコーヒーもそうだし、オレンジ色のガソリンもそう。積み上げられた段ボールや、真新しいスーツ。コピー機、煙草、地下鉄のホーム⋯⋯。
 サアとの暮らしは水の匂いだ。
 部屋の隅々まで念入りに目張りをしてサアを迎えた僕は、ズボンの裾を捲り上げて水道の蛇口をひねった。目盛り付きのバケツとストップウォッチを使って水の出る速さを計り、時計を見ては海水の素の袋を破った。サアが住めるようになるまでまだまだかかりそうだというのに、彼女は仮の住まいと指定したバスタブから這い出してきては、背中や胸や尾鰭の先を水面から出したままバチャバチャと泳ぎ回った。サアはとてもすばしこく、自然と始まる鬼ゴッコはいつも僕が負けだった。服をびしょ濡れにしてしゃがみ込めば、僕の傍らに身を横たえたサアが、尾鰭を静かにゆらしながら水の音に耳を傾け、聞いたことのない歌を小さく口ずさんだ。
 そんな僕達を水の匂いが包み込む、新しい生活のスタートだった。

 特に彼女の人柄を愛している僕だったが、彼女がいかにも人魚らしいきれいな姿をしていたのはラッキーなことだった。
 下半身がウナギやマンボウのようだったり、熱帯魚みたく水玉模様や派手なしましまだったりしたら、僕もやっぱり気後れしたんじゃないかと思うのだ。ハリセンボンのようにとげとげに膨れるのや、タツノオトシゴチックな鎧状の肌でなかったのもよかった。
 それに、両の胸にホタテをくっつけるような、いやらしい趣味がないことも気に入っている。
 実際、彼女はとてもきれいだと思う。
 機能美に留まらない見事な曲線を描いた下半身は、ダークグリーンとダークブルーの混じったような、深くそれでいて透明感溢れる落ち着いた色合いで、腹側では幾分淡くなっていた。ただ、細かな鱗、といっても足の親指の爪くらいはあるがムムもちろん僕の足の爪だムムその一枚一枚に目をむければ、それは見る角度や光線の加減によってオレンジや赤、シルバー、エメラルドグリーンへと微妙に色合いを変えた。
 青みがかった長い髪は、ナンセンスな言い方を許してもらえるのならば、濡れたようにしっとりとして魅惑的にゆらめき、それこそ繊細な構造をもつ半透明の尾鰭は、時にたおやかに、時に毅然とした様子で彼女の身のこなしを支えていた。
 上半身こそ、そこいらの男性誌をめくればすぐに見つけられるものとそう変わらず、形容するならば、若い、とつけるくらいだったが、他の人魚の例を知らない僕にも下半身の形と絶妙なバランスを保っていると思わせるようなものだった。
 サアがきれいだということは僕の友人達の気もひくことでもあって、時々親しい幾人かが彼女の姿をみるために訪ねて来る。
 サア自身はウロコが不格好に剥がれていさえしなければ、彼らに見られることを一向に気にすることはなかった。それはそうだろう。愛がなければただの人魚と人間だ。へんに気を使うこともない。
 彼らは皆、玄関を開けるとその先に垂直な水の壁があることに驚く。そしてその中に僕がいることにさらに驚く。僕が風呂場にサアを閉じ込めているとでも想像していたのだろうか。実感として愛を体験中でないものは、ときとして哀れなほど貧困な想像力しか持たない。
 ただ、部屋に満ちている水が玄関や窓からこぼれないことについては、僕も始め少し驚いた。詳しくは知らないが、きっとサアが何かしら人魚らしい工夫をしているのだろう。これだってきっと、愛があればこそだ。
 とにかく彼らは、僕の紹介するサアの姿を隅から隅まで眺めて帰って行く。その目は水族館でクリオネを眺めている人のような優しいもののときもあれば、まさしく好奇の目というのがふさわしいときもあったのだが、共通しているのは、皆サアを見るのが好きだということだ。
 口の悪いやつは、ここを見せ物小屋といったり、働きがなく、ある意味でサアを見に来る彼らの世話になって生活している僕をヒモといったりするが、そうみられても別にかまわない。僕達の暮らしそのものにはあまり意味のない言葉だと思うから。
 僕がサアに向けるまなざしは、一般的な恋人のそれだといえばいいのだろうが、ひとつ特別に気を引かれてしまう部分がないわけではなかった。彼女の腰付近の鱗が始まるあたりがそうだ。
 何度見ても見慣れず、記憶を呼び起こそうとする衝動より再度の観察への欲求が常に優位にあるもの、つまり、性質的には男にとっての女性の外性器のようなものとでもいえばいいだろうか。
 ついでの話だが、人魚が真珠の涙を流すなんて話は間違いに決まっている。どうみてもサアの目に真珠の出てきそうな穴などないからだ。ホタテにかえてアコヤ貝を胸につけた悪い人魚に騙されたに違いない。
 僕は、サアとの暮らしのためにモスグリーンの水泳用パンツを新調した。来客のないときにはサアと同じく裸でいいと思ったのだが、やってみるとどうにもふらふら落ち着かないし、それをみたサアが笑いころげるのも癪にさわるからだ。

 暮らしていることそのものが気持ちいい。
 水面に浮いて、間近にみえる天井を見上げるのも新鮮だし、ただひたすら泳ぎ回ったあとの軽い疲労感も心地いい。今のところはテレビの上からダイニングのテーブルをくぐり抜け、冷蔵庫の際でターンして電灯の傘の下までいくコースに凝っている。
 このコースはサアならば後ろを振り向くくらいの間にやってのけるが、僕はまだ時間がかかるばかりでなく、ほとんどの場合でテーブルか冷蔵庫に接触してしまう。成功したところで、妙な力の入れ方をするせいか、あらぬところの物を水圧で倒してしまったりするのだ。まだまだやることはたくさんある。
 サアの泳ぎがうまいのはあたりまえだとしても、彼女は急発進急停止をしたときでさえ、かなりヘアスタイルの整った状態を保っていた。実に女の子らしい気配りだと思う。僕の髪は、いつもイソギンチャクの触手のようにふらふら泳いでしまっている。
 そういった細かなところは行き届かないにしても、僕とて、もうかなりに泳ぎは上達していた。
 普段は飲み込んだ空気の量で浮力を調節するのだが、最近では横隔膜と肋間筋、それに鎖骨の動きを制御して、肺を浮袋がわりにできるようにもなった。仕組みはよくわからないが、肺に少し空気をいれてやったあと、胸を膨らませないよう注意して腹の力で横隔膜をあげてやれば、体はすうっと沈み、反対に横隔膜をぐっと下へおしさげれば、体が浮くのだ。もちろん、その間は息が苦しい。しかし、そんなの、どうってことないことなのだ。慣れの問題だし、なにしろ僕には愛がある。
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