空飛ぶバディネリ 『青い巣』(第8回/全16回) by AntennaMan
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『青い巣』(第8回/全16回) by AntennaMan

『青い巣』(第8回/全16回) by AntennaMan

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 九月も半ば近くになったというのに、暑い日が続いていた。
 屋根をぶち抜いたせいもあって、水温もけっこう高くなってきていた。そうなると水に溶けた酸素の量も減るらしく、明け方など底の方で寝ていると息苦しくなることもあった。
 僕は海藻をふやして酸素を補給しようと思ったが、昼の酸素は増えても夜の消費量が多くなるのでその兼ね合いが難しい。また、狭い部屋のことだから水は温度差で容易に層を成したきりになり、底の方の冷たい部分が淀みっぱなしになってしまうのだ。そうするとそこは、海藻のせいもあってたちまち酸素がなくなるので、扇風機を常にフル稼働させておかなければならなかった。
「水の中は水の中で、いろいろあるのよ」
 そうこともなげにいうサアだったが、寝る場所を選ぶのには、それなりに気を配っているようだった。
 やはりもう一台扇風機が欲しかった。塩分濃度や温度の違いによって密度が変わってしまった水は、この部屋程度の大きさでもそう容易に混じってくれるものではない。
 僕は意を決して斎藤の紹介してくれた仕事を引き受けてみたのだが、情けないほど満足に働けなかった。仕事場に着いたときには、異様に重く感じる自分の体に疲れ果ててしまっていたのである。
 少なからずショックを受けていた僕にサアはいった。
「ね、あたしが体売って稼ごうか」
「なんだって?」
 体売るっていったって、人魚がいったいどうやって仕事をするんだろう。いや、その前に、サアに体を売らせるなんてこと僕に出来るわけがない。それこそヒモだし、だいたい、サアがどうやって男の相手をして、いや、僕だってそんなの‥‥‥。
 とまどう僕にサアがいう。
「大丈夫、少しくらい切り身で出したって死なないから」
 人魚らしい勘違いは笑うに笑えず、もちろんのこときっぱりやめてもらった。
 結局、一日として引き受けた仕事を二日かかって済ませ、小さな扇風機を一台購入した。それほど効果はなかったが、ないよりはずっとましだろう。
 出たついでに釣具屋により、赤と青のカラーテグスを買い込んでサアにプレゼントした。
 赤い四号の糸を見たサアは、エビのヒゲみたい、といって喜んだのだったが、そのとき見せてくれた編みかけのセーターは、後ろ身ごろが前身ごろの倍位にも大きくなっていた。つい調子が出ちゃったの、と舌を出すサアに僕が大笑いすれば、彼女は得意気に親指を立て、バチッと派手なウインクまで添えてみせた。
 この頃のサアは、僕の後について泳ぐのに凝り始めていたのだが、水の循環が悪いためか、ときおり彼女の体からビー玉のような涼しい匂いに混じって別の種類の匂いを感じることがあった。
 これまでもその匂いをさせていたのかもしれないが、つい最近までの僕は味覚と嗅覚が混乱していて、水の中でその種の感覚をうまく判断出来ないでいたのだ。
 麝香やバラ、天心甘栗、いそべやき、サザエ、干魚、ヒノキ、セッケン、漠然とした海、山、川等、そんなものを混ぜたような、それとは全く違うような、なんと形容し難い不思議な匂いだ。高校生時代、理科室の試薬棚かどこかで嗅いだことのある匂いのような気もする。
 好きとも嫌いともいいがたいが、悪い匂いではなかった。しかし、そんなことより一番の特徴は、その匂いが僕に強烈に懐かしい思いを抱かせることだった。多くの記憶をたぐり寄せてみるものの、何が懐かしいのかはわからず、ただ、遥か昔に落とし物をしてしまっていたことだけに気づかされるような、はらはらした思いがこみ上げてくる匂いだった。
 そんなとき、僕は彼女の体を抱き、また、彼女の胸に抱かれて眠った。誰かに触れていないと不安だった。そしてサアに触れていれば、はらはら感と同時に深い安堵感も受けることが出来るのだった。
 一度気付いてしまうとサアの匂いは日増しに強くなるように思え、僕は昼も夜もどこかしらサアに触れたまま過ごした。
 サアがトイレに行くだけで僕は寂しく、戯れに身を翻されなどすれば、ほとんど泣いてしまいそうだった。夜は寄り添って寝ても朝は離ればなれになってしまっているので、目を覚ますのが辛かった。
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