空飛ぶバディネリ 『青い巣』(第10回/全16回) by AntennaMan

空飛ぶバディネリ

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『青い巣』(第10回/全16回) by AntennaMan

『青い巣』(第10回/全16回) by AntennaMan

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 その日の夜、肌寒さに目が覚めた僕は、自分がうつ伏せの妙な姿勢で漂っていることに気がついた。
 月明かりの射す水底を見回せば、暗く広がる海藻の森がいつもと違った様子で波打ち、どこか尋常でない気配を漂わせていた。視界が奇妙にぶれるのでじっと目を凝らしてみれば、表面の水が陽炎のように揺らめきながら静かに底へと沈み込んでいるのだった。
 僕は暫くその様子に見とれていた。微かな屈折率の変化は時間の隙間を縫う模様のようで、なんの音も立てない秘密めいた囁きだった。そして水の動きを逆にたどって月の光の当たる水面へと視線を移して行けば、表面あたりに細かな泡や浮遊物等、無数の粒子が一定の速度で移動している層があるのが見てとれる。
 そう、気温の低下で表面から急に冷やされたことによるのだろう。成層していた部屋の水が、上下ぐるりと入れ替わろうとしているのだ。
 サアは、とあたりを見回せば、その姿がみあたらなかった。いつも、だいたい僕と同じ高さに浮いていたはずなのに、水の動きに乗ってどこかへ流されてしまったのだろうか。
 と、僕は、いつも僕を包んでいた彼女の匂いがワカメやアオサの匂いと置き変わっていることに気がついた。水の流れのせいだと想像して納得したものの、急に不安でどうしようもなくなる。
「サア、サア」
僕は名前をよびながら、暗い部屋の中、彼女の姿を探しまわった。
 海藻の森をざっと見渡し、ダイニングのテーブルの下から冷蔵庫、戻って来て扇風機の影やソファーの裏から、いつもケガニの隠れるテレビの脇へともう一度目を走らせれば、ホンダワラの深い茂みの中にふたつの黒い瞳が光っていた。
「サア」
 大急ぎで水をかいて近寄っていくと、ふいに彼女の匂いが僕を取り巻いた。懐かしさと対峙する材料を何も用意できなかった僕の頭はカラカラと空回りを始める。
「サア、サア」
 焦燥感に似た感覚にかられてサアのいるしげみに泳いで行き、じっとこちらを見据える彼女の体に手を触れようとすれば、さらに強い匂いが僕を直撃した。
 どうしようもなくはらはらした思いがこみ上げ、僕はサアに向かって手を伸ばす。そして彼女の肩に触れたとたん、空回りしていた頭の中に何かがふいに流れ込んだ。どこからか水の流れのような音が聞こえ始め、意味のわからない記憶の断片が鈍い光を放って宙に舞う。
 味わったことのない種類の不安感にかられて彼女の体に両腕を回すものの、つるりとした肌やざらついた鱗の感触は僕を満足させず、身体中に力を込めてサアを抱き締める。きつく抱き締め、心から欲しているサアのシンを探す。骨でも心でもなんでもいい。今こそ、思い切りきつく抱き締めればそこに触れることが出来るかもしれない。
 不安を消そうと、そして、真に求めているものを手に入れようと僕は必死でサアの体にしがみついた。しかし、僕の腕の中には水の温度と同じサアの体があるだけで、視覚も触覚も、アクのように浮かび来る記憶の滓でさえも絶え間なく続く水の音にくるみ込まれて実感を失ってしまいそうだった。
「サア、サア」
 自分の声さえ、水の音に紛れて何処かへと流れさってしまう。

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