空飛ぶバディネリ 『青い巣』(第15回/全16回) by AntennaMan
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空飛ぶバディネリ

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『青い巣』(第15回/全16回) by AntennaMan

『青い巣』(第15回/全16回) by AntennaMan

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 僕はサアから目をそらしながら思い返した。僕が長い眠りから目覚めたとき、サアは、生きててよかった、といった。しかし、そのときの彼女は僕が死んでしまっていてもそれはそういうもので仕方がないと思ったのではないだろうか。
「ねえ」
 その声に再び目を上げれば、明るい水面を背にしたサアが、痩せて一段と大きくみえる瞳で僕を見つめていた。その姿は、弱った体だとはいえ実に整った形をしていて、細い首や肩から腕への線、小さく突き出す乳首を乗せた胸の丸みが美しかった。
 と、僕は自分が欲情していることに気がついて愕然とした。目の前のサアだけでなく、記憶の中のサアまでもが、僕の内で単なる裸の女へと変換され出すのを止めることが出来ず、僕は慌てふためいた。それに気がついているのかいないのか、僕を見据えるサアの瞳は恐ろしい程に澄んでいた。
 息苦しくなった僕は玄関へいって水から顔を出し、大きく息をついた。なんの重みも手ごたえもない空気の中で息を出し入れするたびに、今までの生活全てがすうっと体から離れていくようだったが、やめることができなかった。背中に感じるサアの視線が、痛く、切なかった。
 新鮮な空気を胸一杯に吸い込みながら僕は思い出す。まだ、水が膝までも来ていなかった頃、蛇口から絶えず水の音が聞こえる中で、ずるりとバスタブから抜け出たサアがバシャバシャと部屋中泳ぎ回っていたときのことを。家具類に重りをつけるのに忙しい僕の邪魔をするサアは手に負えない程すばしこく、はしゃいで暴れ回る彼女を追って何度転んだかわからない。僕らは身体中を使って水を掛け合い、何もかも、手放しで笑いあった。
 そんな僕たちの部屋は下から次第に高い密度で埋まってゆき、出来上がったのは、ふたりだけの小さな巣だった。
 僕の鼻孔にはそのころ常にくるまれていた微かな塩素臭が甦る。新しい生活の匂い。サアとの暮らし始めの匂い。水面が蛇口の高さを越えたときに水道の音はしなくなり、いつしか水の匂いも全く感じなくなっていた。
 僕はゴーグルをとり、滲みはじめる涙を手で拭った。身体中を濡らしている水もまた涙と似たような塩水であることが、笑い出したい程ばからしいことに思えてしかたなかった。
 その時だった。頭の上からバシャッという音がふりかかり、続いて背中に大きな水圧を感じた。と、同時に部屋の外から車の激しいブレーキ音が聞こえ、ふりむいた僕は青く霞む水の中にサアがいないことを知り、慌てて外へ飛び出した。
 道路には大きなトラックが停まっていて、その傍らに大きな魚の下半分がころがっていた。
 降りてきた中年の運転手は僕のびしょ濡れの髪の毛を鷲づかみにし、ぐらぐら揺すりながらいった。
「なんだこりゃ。えっ。ふざけたことすんじゃねえよ。えっ。屋根から魚投げるなんて聞いたことねえぞ。えっ」
 それが結末だった。
 水着一枚のまぬけな姿でうなだれる僕は、ただひたすらにあやまり続けるしかなかった。

       *

 こうして僕の夏は終わった。
 いかにもそこいらに転がっていそうな言い方に僕の夏を押し込めるのは、小さな部屋で過ごした僕の夏の物語らしくて、とてもいい方法だと思う。
 こうして僕の夏は終わった。

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